森の都、仙台はこの世のパラダイス。昭和12年日支事変が勃発した時、私は立町小学校の二年生でした。広瀬川の河川敷で陸軍第二師団の兵隊さんが連日実戦さながらの猛演習をしていた。ヒットラーの親衛隊ヒットラー・ユーゲントが青葉通りを軍楽隊を先頭に整然と行進した。おもちゃの兵隊さながら、若い女性は恍惚に酔いしれたものだった。南京陥落、漢口陥落、日本陸軍の戦果も華々しく、連日のように提灯行列、西公園から青葉城に向けて砲兵隊が15センチ砲の祝砲を放っていた。少年の血を躍らせた鮮烈な思い出である。 仙台には泥棒がいない。当時、これは真実であったらしい。伊達公の治世宜しきを得て、戦争のない城下町は、大変豊かであった。犯罪の起こる筈がない。その風土が今に伝わっているのだろう。 看板ナビは、この地に発祥した。歴史的な快挙である。 HP制作のノウハウを惜しげもなく披露される主宰者の人柄に接して。過ぎ去った日々の仙台人の人情を彷彿とさせるひとときであった。 だが、育英高校の一件は残念だ。私の兄は同窓生だ、政治が悪い。
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