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タイトル給料明細書
記事No5145
投稿日: 2002/10/14(Mon) 16:26
投稿者あいお
参照先http://www.mashikokanban.com
面白い給料明細書が出てきました。
今年の8月に祖母が亡くなり、四十九日も過ぎ、
今日、祖母の持ち物の片づけにうちの母親が手伝いに行き、
形見分けとでもいうのか、面白いものを持ち帰ってきた。

それは、46歳、アジソン氏病で亡くなった祖父の給料明細書です。
藁半紙に印刷されています。
昭和30年前半のものだと思うが、炭坑の電気技師を
していました。
基本給が8880円、諸々の手当・残業を加えると、15000円前後の
お給料を貰っていたようです。
高給取りだったのでしょうかね。
当時がわかる方、教えて下さい。
あごかぜさん・サノさんでもわからないだろうなぁ。
(あ!失礼しました。)

仕事ばかりの投稿だけでは・・・と思ったのでカキコしました。

亡くなった人を思い出すの一番の供養だと教わっています。

皆さんがここで、カキコできるのも父母が生んでくれたお陰。
それをさかのぼれば、祖父・祖母が大正・昭和を生き抜いてきて
くれたお陰だと思っています。

つまらぬ駄文の日記の一部を載せさせて貰いました。
失礼しました。

タイトルRe: 給料明細書
記事No5147
投稿日: 2002/10/14(Mon) 17:14
投稿者なむら
参照先http://www5.ocn.ne.jp/~p.asahi
かなりの高給取りだったのでは?(^^)
キャラメルやバナーナが高級だった時代ですよね?
「藁半紙」というのが時代を表現していてとてもリアルですね。
小学校の宿題のプリント以来、藁半紙には出会っていません・・・・。
懐かしや・・・・・。わらばんし。

タイトルRe^2: 給料明細書
記事No5148
投稿日: 2002/10/14(Mon) 23:12
投稿者あごかぜ
参照先http://machidabisoh.com
> かなりの高給取りだったのでは?(^^)
> キャラメルやバナーナが高級だった時代ですよね?
キャラメルはそうでもありませんでしたが、確かにバナナは珍しい食べ物でした。
戦後しばらく、県立高校に勤めていた母の月給が65円。
1969年の高卒の妻の初任給が1万円台。そのあと1973年に有名なオイルショックがあって、高卒の初任給が3万円台になりました。1960年前後っていうのは池田勇人さんの所得倍増の時代ですよね。全国の炭坑が次第に閉山をしていった頃だと思います。
1964年夏休みに中一の私は初めて現場に出ましたが、そのときは一日50円ぐらいから始まったような気がします。
お年玉が100円だったりした時代の話しです。
脱線ですね。私に振るから・・(^_^;

タイトルRe^3: 給料明細書
記事No5149
投稿日: 2002/10/15(Tue) 07:32
投稿者sanosign
名前がでたのでとりあえず昭和38年父の給料が10000円位でした。たしかにバナナは高価で,子供のころ初めて食べたバナナは黒い色をしていました後で黄色い色と分かりましたが多分腐っていたのでしょう。それでも美味しいかったです。今でもマスクメロンよりバナナの方が好きです。
結婚したころ妻がバナナをひとふさ買って来たので怒ったことがあります。その頃は,安い果物になっていましたが。これが企業努力によるものなのか,流通のせいなのか,大量生産なのか分かりませんが、昔より価格の安い,たまごとバナナは戦後のたべものの優等生です。話しはそれますが当時の看板屋の初給料は7000円で3×6トタン(亜鉛)看板が5000円でしたから,給料が安かったのか,看板が高かったのかそんな過去の話です。もっともその当時看板屋は映画の仕事が多く,文字書きはペンキ屋とよばれていました。

タイトルRe^4: 給料明細書
記事No5151
投稿日: 2002/10/15(Tue) 10:01
投稿者いちはし
参照先http://www.kanban-display.co.jp
給料が10000円で、3×6看板が5000円。。。。。。。。。
今では考えられない価格ですね、ビックリです。
職人さんに対する技術料としての認識が昔の方があったんでしょうかねぇ。

ちなみに昭和38年・・・・・私はまだ、この世に存在していませんでした。

タイトルRe^5: 給料明細書
記事No5160
投稿日: 2002/10/15(Tue) 13:14
投稿者あいお
参照先http://www.mashikokanban.com
> 職人さんに対する技術料としての認識が昔の方があったんでしょうかねぇ。

確かにそうなんでしょうね。
誰もが書ける、描けるというものではなかったはず。

良いペンキも無かったろうし、イベントの文字を顔料だけで
書いて、雨が降ってきて流れて、泣いたとか聞いたことがあります。

昭和30年・40年代は、
看板屋・ペンキ屋さんにとって、良き時代だったのでしょう。

タイトルRe^6: 給料明細書
記事No5168
投稿日: 2002/10/15(Tue) 22:14
投稿者あごかぜ
参照先http://machidabisoh.com
> イベントの文字を顔料だけで書いて、雨が降ってきて
> 流れて、泣いたとか聞いたことがあります。
ネオカラーなるものが生まれる前、顔料と混ぜ合わせるための膠(にかわ)の棒状のものがたくさんありました。ナベで煮るとけっこうニオイがきつかったのを思い出します。
たぶんそれでも雨にあたれば溶け出たのではないでしょうか。

> 昭和30年・40年代は、
> 看板屋・ペンキ屋さんにとって、良き時代だったのでしょう。
公務員であった母は、父と結婚したあともしばらく仕事をしていたようでしたが、塗装も手がけていた父のひとつの工事で、母の月給の何倍もの収入を得られたことが、勤めを辞めるきっかけにもなったと話したことがあります。
今なら配偶者の公務員の身分はかなりな担保価値がありますよね。