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第18回 〜父2代
(有)町田美装工芸社  町田 雅之さん


1966年7月11日。私が中3のとき父が亡くなった。1923年生まれだったから満42歳。 父親のいない苦労を特にしてきた記憶もないが、自分の進路を父親と話し合った記憶もない。

私の長女が高校に進むとき、高校を卒業するとき、そして専門学校を卒業するとき、とその経験がないために、ときとして戸惑ったことがある。

長女はまわりが密かに期待した音楽大学ではなく、管楽器修理技術の専門学校へ進み、卒業後1年のクッションをおいて、この6月でほぼ希望の楽器店へ就職することができた。専門学校だけは私の提案だったが、そこへの進学も含めてあとは自分で決めた。

次女は今高校2年生。聞く所によると短大へ進み、パソコンと英語を身につけたいという。ここでまたこの父親は戸惑うことになる。

そんなものなのかもしれないが、パソコンも英語も、それを「目的」とすることと「短大」という環境がどうもいまひとつうまく重なり合わない。

1年ほど前に次女がホームページを持ちたいというので、アカウントをとってやったことがある。作成ソフトもあるのだが、どうやら彼女はタグ書きを基本に、シンプルながらもページを立ち上げ、メンテしているようである。環境さえ整えてやればもっ と自力でもやれると私は見ているのだが、本人は「私はバカだから、いろいろ教えてもらわないと・・・」と言っている。

彼女は何故自分のことをバカというのだろう。 飛び抜けて成績がいいほうではないが、少なくとも私からバカよばわりしたことなどないはずなのに。

英語に関しては別の機会にゆずるとして、パソコンは発展途上の技術である。姉がチャレンジした技術は、管楽器というほぼ完成された目的物に対する技術であった。 (もちろん、私たちの業界と同じく、学校で学んだことがそのまま顧客の信頼や売上げにつながるはずのものでもないが。)

一方、短大で情報処理を学ぶということに、 どうしても諸手を上げて賛成できない自分がいる。これはひとつ、じっくり話し合ってみるべきだと・・・

救いもある。彼女にとってインターネットやホームページは少なくともコミュニケーションの手段としての位置づけだ。おそらく、いくつかのコミュニケーションの失敗も経験したのであろう、サイト管理者としての自分の立場もなかなかわかっているら しい。ビジネスで立ち上げたホームページの掲示板の来訪者やメールにロクにコメン トも返信もしない、できない管理者よりはよほどたのもしい。

彼女の管理する掲示板は、私が管理するサーバー領域にcgiスクリプトを置いているので、たまにチェックはする。ただ、彼女のコミュニケーション内容に触れる発言はしないように心がけているところは、ケナゲな父親だと自分で思う。

ここまで書いてふと気が付いた。次女に関する以上のことは、およそインターネットを介して、彼女の行動から得られた情報である。おそらく、こんな親子のコミュニケーションはこれまではなかったパターンではないか。

用事があれば、必要があれば当然彼女からのリクエストはある。用もないのに、父親があれこれ言うというのは、言われた経験のない私にとっては難しい。

子どもにとって、あるときはたぶん、親からなにかをたずねられることさえわずらわしいときがあるだろう。でも私は彼女のエゴサイトをたまに見ることで、親子という関係の上だけではなかなか伝わらない娘のホンネを知ることができている。

今、これを書いている私の背後には、私より10歳以上も若い父の遺影がある。父親が生きていれば、今の自分の居場所や立場がどうなっていたかはわからないが、どんな対話をしていただろうか、とはときどき考える。