看板ナビロゴ
看板屋コミュニティお仕事支援看板屋向け情報

全国の看板屋さんに毎週交代でコラムを書いてもらいます。

第35回 〜筆を持て!?ってか
秋田県 有限会社 和田かんばん 和田陽一さん


若いスタッフの一人が、お客様の店へプライベートで立ち寄った。
久しぶりに、お気に入りのアルバムでも探しに行って見たのだろう。
楽しんでいる彼を見つけて、そのお店のご主人が得意のお説教を開始した。
『看板屋は筆を持て!(?)看板屋は筆で書かないとダメだ!!』とおっしゃったそうだ。「○×しなくてはいけない型」発言の大好きな御人である。

まあ気持ちは分からなくもないが、あまり簡単に言って欲しくなかったなあと思った。
パソコンの普及により、カッティングマシンや大型インクジェットプリンタなどがどこの看板屋さんにも導入され、資材の性能進化・低価格化によって益々手描きは無く なってしまった。
なるほど無機質な製作工程にも思える昨今の看板屋さんに見えるかも知れない。
しかし製作工程の中で何かを書いたり塗ったりする作業は昔からほんの一部であり全部が全部、素人さんが思い込むように筆を懐に入れた?”超職人”だけではない。

お客様には見えない部分にそれぞれの作業分担があるわけで、その数も多いものだ。
お一人で何でもやってしまう看板屋さんも多いとは思うけれど、それでも書く工事と無縁の方も多いはず。それが業界の実情なのです。
大工仕事、土方仕事、板金仕事、アクリル加工、コンクリ練り、ハケ塗、文字書き。
・・・総合技が看板屋さんなのだ。そこへパソコンが仲間入りしただけなのにね。
昔も今もやる事には変わりない、ただお客様にはパソコンによるデジタル加工やインクジェット出力などが鼻に付くみたいだ。

相手にしなければ良いものを、気にしていた事を指摘され不愉快になった。
それよりも、何故かパソコンと出力機頼みの「今の自分」を正当化しようと懸命になっている自分自身が余計に情けなく思う。
きっとそこに捨てきれない何かが有るんだと、あらためて自覚した。

みんながみんな筆を持って書く仕事をしていたわけではないのだが、素人さんには「看板屋=文字を書く」に限定されるようだ。利益を生むという生産活動の中にありただ文字を書くという”楽しい”(実に楽しい)行為だけに固執してしまえば少なくとも私の会社の実情にはそぐわない結果を生むことになる。
それは損益の計算が無用な。・・・趣味の世界・・・となってしまうのだ。

適当に時代にも乗っかっていかないと間違いなく食いっぱぐれるだろう。
私の会社が”手書きじゃないと”なんて言ってたら仕事は皆無だ。 (書、自体を芸術として確立されていらっしゃる看板屋さんはまったく話が別です。)

入社以来二年間、出力を専門に頑張って来た若い彼に、思いつきで「筆を持て!」なんて言わないで欲しかった。それは私に投げかけられた言葉だとも思った。
言われたスタッフは「書く」ってこと自体の作業を見たことが無い、流し台脇の筆桶につっ込まれている汚れモノとしかとらえていないかも知れない。

見直す時期に来ているとは思うが、今看板屋さんに「筆を持て!」とは私には言えない。
もし言うならば”看板屋さん「筆を持っているところも見たいなあ!」”だろうか。
文字を書く場面をほとんど見たことの無い若いスタッフは筆を持つ意味をどう考えるだろう?
お説教ご主人の「筆を持て!」発言をどう受け止めたのだろうか、聞いてみたい。

文字書きが一般的ではなくなって久しい。フリーハンドで書くことなどは数年間全くしていない。
つい何日か前、珍しくその手書きが要求される配管、機械類の直接書き作業の発注があった。
その瞬間から果たして書けるのかどうか?筆は大丈夫か?種ペンは固まっていないか?
立ちっぱなしで腰がもつだろうか?次々に不安ばかりが頭の中をぐるぐると回って止まらない。

文字書きは私一人、断るわけにもいかないお客様だったから覚悟の決まるのは早かった。
前日には随分と使っていない筆を一本づつ机に並べ、準備をしていた。
ほったらかしで手入れが悪くなった筆たちに謝りながら、穂先を整えたり軸を挿げ替えたり気が付くとつい遅くまで夢中になっていた。
段々と、気が重かった現場の手書き作業不思議と楽しみになってきたのだ。

昨日、その現場全部を二日間かけてすべて仕上げた。お客様から一箇所づつチェックして頂き
「はい、いいですね。ありがとうございました。」といわれた瞬間、安堵と共に実に久しぶりの達成感を味わった。
”楽しかった”出張文字書きを新めて営業品目に入れなくちゃと真剣に思った。

あのご主人の「筆を持て!」はもしや思し召しだったのか?(でも、未だうなずけない)
言われて悔しいけれど、「筆は持ち続けたい」と思った。